胡麻団子が好き
麺の技術は、粒食が主流であるコメにも適応されます。
きらに中国南部のコメ文化地帯を通過したものが、ベトナムなどで食べられているフォーというコメの麺です。
食事文化というものは、実に長い歳月をかけて食べ方に工夫が凝らされると同時に、他の地域との文化交流によって、さまざまな発展をとげてきたのだ、ということを忘れてはなりません。
そして農業を行いましたが、彼が殺した弟のアベルは「ヒツジを牧う者」でした。
つまり牧畜が、農耕に続く重要な生産システムであったことを暗示しています。
そして大洪水を生き延びたノアは、「農夫となりて葡萄園」を耕し、ワインも造っていました。
ただ、この地の農業の主な産物がムギであったことは、同二六章の「イサク彼地に種まそのとしえ播きて其年に百倍を獲たり」とあり、さまざまな場面に、種なしに種ありのパンが登場し、すでに発酵パンが作られていたこともわかります。
またミツバチの養殖も行っていたようで、「民数記」第一四章には、エホバからイスラエルの民に与えられる地は、「乳と蜜の流れる地」だ、と記されています。
また後に、コメ文化との比較をしますが、聖書の世界では、人々が”迷える仔羊”などこ称されていることや、神への供物がヒツジや種なしパンであったことにも、注目しておきたいと思います。
いずれにしても、ムギを中心とした畑作農業が、この乾燥地帯の主流でした。
そして、この地域は森林地帯ではなく、草原地帯でしたから、牧畜に適する風土でした。
このように、畑作農業と牧畜という文化を複合させていた地域では、コムギのパンのほかに、たまには肉を用いながら、ミルクなどの畜産品を主要な食料としていました。
ここでは調味料として、とくに乳と肉が重要な役割を果たします。
つまりバターやチーズを調味のベースとし、料理に重要なスープストックには、ウシなどの余り肉や骨などを煮こんで使います。
なおニワトリも用いていますが、これは後の時代に、インド・東南アジア一帯からイランを経てヨーロッパに伝わったものですし、コメ文化圏でも利用されています。
先にみた西アジア・中央アジアとヨ−ロッパを中心としたムギ文化圏では、いわばパン+ウシもしくはヒツジ肉十乳製品というパターンになります。
つまりムギを中心とした畑作農耕を営みながら、ウシやヒツジなど乳を出す動物を飼うというパターンです。
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